決められないならダイスを振ろう –優柔不断で意志薄弱な人のための「決断」の外注方法

決められないならダイスを振ろう –優柔不断で意志薄弱な人のための「決断」の外注方法

ぼくはもうなにも決めたくない

「飲み会に行くか/行かないか」、「お昼に食べるのはごぼうサラダか/シーザーサラダか」、「携帯を新しくするか/しないか」……

たいていのことはどっちでもいい。右か左か、進むか戻るか、上がるか下がるか。意志薄弱なぼくは選択肢を与えられると、ひるむ。「どっちにするの?」と詰め寄られると、ウッとなる。

「決めてくれればそれに従うのに!」と思う。けれど、どうやら現代社会においては「決断力」なる妙な概念が存在していて、それを有していないと他人からの評価が下がるらしい。

どんな些細なことでも、決断を下すためにはエネルギーが必要だ。そしてあいにく、ぼくにはそのエネルギーがまるで残っていない。

だから、最近はほとんどの「決断」という行為を外注している。

 

 

「決断」の外注方法

何かを決めることが苦手なら、ダイスを買うのがいい。

ぼくが持っているものはベーシックな6面ダイスだが、数字ではなく、”Go.” ”Don’t Go”の文字がそれぞれ3面ずつ印字されている。ぼくは常に財布にこのダイスを忍ばせており、ことあるごとに振る。

飲み会、行っても行かなくてもどっちでもいいな、と思ったらダイスを振る。”Go.”が出れば行くし、”Don’t Go.”が出れば行かない。ごぼうサラダを食べるかシーザーサラダを食べるかで迷ったら、ダイスを振る。”Go.”が出たらごぼうサラダ、“Don’t Go.”が出たらシーザーサラダ、といった具合だ。

ぼくはこの方法で就職先を決めた。Go.が出たから入社した。たぶん、「辞めようかな」と迷ったときもダイスを振ると思う。

ベンジャミン・フランクリンが「時間は貨幣」という金言を遺してくれている。早く決断して、次の行動に移りたいのに、なにも決められない。誰かに背中を押してほしいけれど、他人の意見に流されてばかりだと「意志薄弱」だの「優柔不断」だの揶揄される。ていうか、周りに背中を押してくれるような人間がいない。もうダメだ。おしまいだ……

そんな風にバッドに入るくらいなら、ダイスを振ると良い。コインでもいい。なんだっていい。自分でコントロールできない何かに身を預け、決断を外注しよう。決められないんだから仕方ない。できないことはやらない方がいい。疲れるから。

色々考え抜いて、それでも決断が下せないのなら、Aを選ぼうが、Bを選ぼうが、選択後の自分の幸福度は短期的に見れば変わらない。

長い目で見るとその選択で失敗するようなこともあるかもしれないけれど、未来のことは誰にも分からないのだから、いま、ここではどちらを選んだっていいはずだ。ダイスを振ろう。

 

 

決断を外注する上での注意点

考えてから振る

選択の直面に至った際、思考を停止していきなりダイスに手をかけるのはよろしくない。

たぶん、めちゃめちゃ考えさえすれば、世の中のほとんどの選択肢からは(自分にとっての)正解を導き出すことができる。できれば、正解したい。けれど、時間がない。体調が終わっている。それほど重要でもない選択にエネルギーを使うと生活が成り立たない。諸々の理由で、決断を外注しないと立ちいかない瞬間が、ぼくたちには必ずあるはずだ。

結局のところ、ぼくが今まで述べてきた「決断の外注」は、「テストで全然分かんない問題出た、鉛筆転がすしかねえ」の精神に基づいている。試験開始の号令とともに鉛筆を転がしはじめる剛の者はそう居ないはずだ。

可能な限り自分である程度考えて、それでも決められなかった時にだけダイスを振るようにしよう。「これもう考えても分かんないわ、鉛筆転がそ」の感覚で生活を乗り切ろう。

 

「あの時ああしていれば」はほどほどに

ダイスを振った結果、選択を誤ることは当然ある。

けれど、前述した通り、未来のことは分からない。その時点ではAに進もうがBに進もうがどちらでも良かった自分が居たのなら、あとは運の問題だ。失敗した時は潔く諦めよう。

と言っても、たぶん潔く諦められるものではない。「あの時ああしていれば」の後悔はほどほどにするよう意識するのが良い。夜、布団に入ってから後悔をはじめると眠れなくなるので気をつけること。

 

 

自分で決断できるフェイズに入ったらダイスは無視する

当たり前のことなのだけれど、1度ダイスを振った後に判断材料が出てきて、自分が決断できるフェイズに入ったら、ダイスの結果は無視しよう。

ダイスは決断をアシストするためのアイテムでしかない。

ただ、ダイスを振った後に新たな情報を得てもいないのに「やっぱこっちの方がよかったかな……」と目移りするのは好ましくない。文字通り、振り出しに戻るだけだから。

 

 

「なんでもいいな」には対応できない

これが最大の難点で、「どちらにしようかな」はダイスに決めてもらえるのだけれど、「なんでもいいな」は難しい。

ぼくは「何食べたいかな……なんでもいいな……」と度々思うのだけれど、その時ダイスは何の役にも立ってくれない。ぼくの行っている方法で決断を外注するなら、選択肢を2つにまで絞りこむ必要があるということを忘れないように。

もし、「お寿司」「焼肉」とかが印字されたダイスがあったら、間違いなく買うので、よければ作ってください。

文:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

編集:井上さくら(@InoueJohnny)

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