書評『誤作動する脳』|誤作動をおもしろがって

書評『誤作動する脳』|誤作動をおもしろがって

部屋の片付け家系ラーメンについて文章を書いてくれた愛着バグさんに、『誤作動する脳』の書評を寄せていただきました。ぜひ。

誤作動する内側/変わらない外側

本当に意気込みとか心がけだけじゃどうしようもないな。

自分のあるべき姿が、内側からぽろぽろとこぼれ落ちていくようだった。

目立たない場所だったけれど円形脱毛症になったり、消化器官の不調であったりといったからだのことから、職場がすごく怖くなったり、仕事が全然手につかなくなったりといった気持ちのことまで。漫然とした不調を抱えていたけれど、全ては自分の内側のことで、外側はいたって平常運転だった。

症状を調べたり、病院に行ったりしてみたけれど、だいたい原因と思われるのは体質、気質、ストレスといったもの。痛み止めが効くようなはっきりとした改善策は得られない。

当たり障りのない処方薬を持ち帰る道や、通勤電車で成果のない検索結果から目を離すとき、「自分の中の見えないどこか、手の届かないところで誤作動が起きてるのかなあ」とぼんやり思っていた。

クリティカルな治療は無いし、気の持ちようと言われてもよくわからない。曖昧な不具合へのアクセス方法がどんどん無くなって、誤作動する私と耐えきれない状況だけが残される。

自分がもう限界で、使い物にならない旨を会社に伝えると、その日のうちに休職することになった。気持ちの整理はなかなかつきそうになかったが、時間だけぽっかりと余裕ができたので、とりあえず書店に赴いて、ある本を探した。

『誤作動する脳』というタイトルの本だ。

『誤作動する脳』を読んで

『誤作動する脳』はレビー小体型認知症の診断を受けた著者自身による様々な脳の誤作動と心情の観察記録である。

レビー小体型認知症は、レビー小体というタンパク質の塊が脳に蓄積することによって現れる認知症症状のことである。認知機能のレベルが波のように上下しながら少しずつ低下していくのが特徴的で、初期段階ではもの忘れよりも、幻視(ないものがあるように見える)や誤認妄想(人やもの、場所を誤って思い込むこと)などの症状が出ることが多い。

闘病記・当事者研究というよりは、エッセイのような読み心地で、レビー小体型認知症という単語にはじめて触れる私でも構えずに読むことができた。幻視や幻聴、記憶障害などの目に見えない脳機能障害の症状を携える著者の目を通した世界と心情を覗くことができる。

事前に読んだ概要には認知症、幻視、記憶障害などのものものしい症状が並んでいたけれど、自分自身の身体が「誤作動してるなあ」という実感があったことと、五感の変調や誤作動の認識に興味があったので手に取った。

前書きにあった著者自身の紹介は想像していたより朗らかだった。

ポンコツの身体を熟知して巧みに操り、困りごとには工夫を重ね、病前とは違う「新型の私」として善戦しているのです。

私も新型になって善戦したい。

幸せの入力器官

突然だけど、いわゆる五感などの感覚の話が好きだ。

感覚に興味をもったきっかけは学生時代の卒業研究の調査。論理や思考といった認知に頼らない感覚の娯楽の存在を知ったことだった。感覚の入力だけでも人間は楽しむことができるという事実に驚いた。

認知の機能が大きく損なわれて、言葉や状況が理解できなくなったとしても、楽しさや心地よさを届けることができる可能性に涙が出そうになった。

本書を読んでいると、嗅覚障害や幻視の症状がある著書の感じている世界がすごく鮮やかに映ることがある。誤作動をしつつも世界をとらえる感覚の喜びが表現されているのだ。

例えば、病気による嗅覚障害で匂いがほとんどわからない著者が、ふとした瞬間に匂いを感じたときの自身を「恋人に抱きしめられた若い女性のようにうっとりするのです。」と表現している。

嗅覚を失ったことがないので実際はわからないけど、恋の多幸感のような心情を再現するきっかけになるのかと新鮮に思った。私たちは好きな人について話すのと同じ気持ちで、においの話をできるのかもしれない。

他にも、幻視で優雅な白い鳥を見て胸がいっぱいになったことや、少しだけどお酒が再び飲めるようになったことなど、脳の誤作動に悩まされながらも五感を用いて、生活を謳歌しているエピソードがたくさんある。

そんなことがあるのかと驚くものも、それは嫌だなと苦く思うものもあったが、五感は、外界の様子を知るだけでなく、喜びや幸せに付随する器官なんだとしみじみと思った。

ストレスへの警鐘

ストレスのことを「脳を蝕む最大の敵」や「毒」のように、誤作動や体調不良を増幅する忌々しいものとして、何があっても回避するようにしている、というエピソードが何度も出てきた。

五感の誤作動は変動的で、心身の疲れやストレスで一気に悪化するそうだ。例えば、ちょっとしたまぶしさに耐えられないなどの目の不具合は、ストレスが自律神経に作用して瞳孔を開かせてしまうらしい。

幻視、幻聴、嗅覚障害、時間感覚、温度感覚など著者の誤作動の種類はあまりにも多様である。著者自身がストレスを感じたとき、それぞれの症状が悪化した様子を読むにつけて、ストレスは考え方でどうにかなる、対処的にリフレッシュすればいい、などと安易に片付けられないなと感じた。

安定した五感によって投影される世界や、お湯に浸かるときの気持ち良さですら、嫌な環境やストレスによって二度と味わえないものになり得るのだ。デスクの上のGABA含有のチョコレート数粒で対処している場合じゃない。

誤作動しているのは世界のほうだ

病院が、病気や誤作動に関する困りごとの一切を引き受けてくれるわけではない。本書でも書かれているように、医療は体験や個人的な思いには寄り添わない。例えば、五感の感覚や任意の症状の定義に関する違和感、個人の体験については拾い上げられることは少ない。

著者は自身の誤作動について、真摯に向き合い、誤作動しない人々と共生する工夫を懸命にしている。

こんなにもいろいろ工夫している人が、「ストレスは脳にいちばん悪いと実感しているので、全力で避けます」と言う人が、病気が原因で退職したことに対して「多くの人に最大の迷惑をかけ、信頼を失い、今も消えることのない傷を私に残しました」と大きな喪失や後悔を感じている。

そんな辞め方をせざるを得なかったのは、誤作動する彼女の落ち度だったのだろうか。

フィクションやコンテンツにおいては「この人はさぞ悲しかっただろうな」「この気持ちを表現するには……」などと、個人の体験を摂取したり、受け取り方を考えて創作したりしているのに、世界のシステムにおいては個人の感情や困りごとに寄り添えるようなものがぽっかりと抜け落ちているのではないか。私は世界のほうが誤作動してるとしか思えなかった。

希望となるもの

著者は、誰にも幻視などの症状を理解してもらえなかった状況から、レビー小体型認知症を特集する番組のディレクターに「貴重な情報提供者」として話を聞かれることで、自分の症状を前向きな形でとらえ始める。

論文や本から、他の脳機能障害や視覚障害、特定の条件下においては健常な人にも起こり得ること、幻視はめずらしい現象ではないことを知る。

同じ症状をもつ仲間との対話では、誤作動への向き合い方を共有することで、新たな考え方を得たり許容の範囲を広げている。また、仲間の好きなことを聞きーー著者が病気でできるわけないと思っていることだったりするーー心の支えにしている。

多くの情報を得ることと、理解し合える人とのつながりが彼女の希望になったんだと思う。

「たとえ病気で脳の機能のあちこちが落ちていたとしても、安心、自信、余裕さえあれば、思いもかけない力が出てくるはずです」

今の自分には安心、自信、余裕はあるのだろうか。

どうぞお付き合いくださいね

著者は自身に起こる誤作動は精神的な問題ではなく、脳機能の疾患であるとたびたび主張する。その上で、自身との関わり方を私たちにこう提案してくれた。

ほんのちょっと「脳の誤作動を起こしやすい人」だと思って、さらりと受け流すか、一緒に脳の不思議をおもしろがってくだされば、うれしいです。

少し切実な、軽やかな言い方だ。、本当にその通りだなと思った。

誤作動を解決できそうなアイデアがあれば試してみるし、それでも失敗しちゃったりするけれど、こんな私だけれどお付き合いくださいねと言っていくしかないのだと思う。自分にも、世界にも。

他人のことなんてどうでもいいんですよと思うことで、たくさんの人と交流できる人がいるけれど、いろんなところで誤作動してしまう私は、大切な人に、大切になりそうな人に、お付き合いくださいねとお願いして、それを世界にしていくのがいいのだと思う。

穏やかに一緒にいてくれたらありがたいし、おもしろがってくれたらなおのこと。

樋口直美『誤作動する脳』(医学書院、2020)

文・サムネイル:愛着バグ(@oboro225)

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

※この記事から書籍を購入しても弊サイトに収益は発生しません。本屋で買うといいと思います。

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