人間は生活をしなければならない。飯を食えば皿を洗い、服を着ればその服を洗い、家が汚れれば掃除もする。ただ生きているだけなのに、というか、ただ生きていくためにやらなければならないことがどうしてこんなにたくさんあるのだろう。
わたしは生活が苦手だ。息をするのも精一杯で、何もできない状態に陥ることもしばしばある。
この文章では、「あと1ミリもがんばれない」と思ったときに、わたしがどのように生活をやり過ごしてきたかを簡単に紹介したい。いわば、「ていねいじゃない暮らしのススメ」である。
洗い物がムリなときは皿を割る
シンクに汚れた皿がたまっていくのを見るのはあまり良い気分ではない。数日放置してしまった後だと、なおさら洗い物に対するモチベーションは低くなっていく。
そんなときは皿を割ればいい。
汚れた皿を割ってしまえば、それは洗い物ではなくゴミになる。多少手持ちの食器は減ってしまうかもしれないけれど、「洗い物をしなければならない」という呪縛から解放され、あなたは自由になる。
「割れた皿を片づける方が面倒なのでは?」と思った人は、真っ当な感性の持ち主である。ただ、人生には「洗い物をするぐらいなら皿を割った方がマシだ」と真剣に思い込んでしまう状況に陥る者もいるのだ。
それに、「洗い物はムリだ」という精神状態であっても、割れた皿の破片ならきちんと捨てられる場合もある。洗い物は放置しても死なないが、割れた皿を放置していると下手をすれば大きなケガを負ってしまう可能性があるからだ。
洗濯がムリなときは服を捨てる
食べこぼしなどで服が汚れたとき、「これ自分で落とせるかなあ」「クリーニングでも落ちなかったらどうしようかなあ」と考えて憂鬱になる。洗濯機に放り込んでおまかせコースで落ちる汚れならともかく、手洗いやクリーニングが必要そうな汚れとなると途端に面倒になってしまうのだ。
そんなときは服を捨てればいい。
自分で洗うのもクリーニングに出すのもかったるい。手間をかけても本当に落ちるのかどうか分からない。あれこれ思いを巡らせるのに疲れてしまったときは、捨てるのが一番だ。あなたは「いつか汚れを落とさなければならない服」から解放される。
ちなみにわたしは月に一回の生理が来るたび、下着やタイツ、スカートといった下半身に身に着ける衣服を一着は汚してしまう。来るべき襲撃に向け準備を怠っていなければこんなことにはならないのだろうが、生憎わたしは怠惰なのだ。月に1度のペースで衣服を汚し、それと同じだけのペースで汚れた衣服を捨てている。
「また生理で汚してしまった」という罪悪感からも、「経血の汚れ落とすのだるいんだよな」という倦怠感からもたちどころに解放される裏技だ。
床が汚いときはスリッパを履こう
家の床が汚くて気になっているけれど、もうどうにも動けない。そんなとき、自分に鞭打って部屋を片付ける必要はない。スリッパを履こう。
床が汚れているならスリッパを履けばいいし、埃っぽくて喉がいがいがするならマスクをすればいい。本当は大掛かりな掃除が必要な状況なのかもしれないけれど、そんな元気があるならとうにしているだろう。
とにかく、体力や精神力やいろいろなエネルギーが低下している今、無理をするのはよくない。スリッパやマスクを身に着けるなど、自分にできることをしよう。
生きているだけで偉い
この文章には、巷で言われる「ていねいな暮らし」を揶揄するつもりはない。「ていねいな暮らし」をすれば確かに日々の生活の質は上がるだろう。でも、「ていねいな暮らしをしなければならない」「ていねいな暮らしができない」という状態そのものが後ろめたさを生んでしまうなら、いっそ開き直ってていねいじゃない暮らしをすればいい。
家が汚かろうが、公共料金を支払い忘れていようが、そんなことは元気になった未来の自分に任せておけばいいじゃないか。わたしもあなたも、生きているだけで十分偉い。
文: なめこ(@vknty133)
編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)