「気分循環症」という厄介な性質 -急上昇・急降下を繰り返す感情と向き合う-

「気分循環症」という厄介な性質 -急上昇・急降下を繰り返す感情と向き合う-

何かとても嬉しいことがあって、天にも昇るような幸福を感じる。

またはひどく悲しい出来事に遭遇して、どん底に落ちてしまう——。

こんな風に、目の前で起こったことに反応して人間の喜怒哀楽が変化するのは正常だ。けれど、もしも自分の感情が、特に思い当たる要因もないのに激しく変動してしまうことが頻繁にあるとしたら?

情動が、大きな高低差をともなって循環する。この感情のジェットコースターからは自分の意思で降りられない。そんな精神疾患がある。

例えば、躁うつ病という通称でよく知られている「双極性障害」。これは常軌を逸した気分の高揚や派手な行動が続く躁の状態と、喜びの感情や活動意欲が著しく減退するうつ状態が交互に繰り返されるものだ。


双極性障害は躁の程度と二つの状態の持続期間によって、より深刻なⅠ型か、比較的症状は軽いがコントロールしにくく、うつ状態を再発しやすいⅡ型のどちらかに分類される。

そして双極性障害Ⅱ型の基準には満たないものの、正常の範囲ではない気分の上下の反復が見られ、その症状が何年にもわたって続いている時には気分循環性障害(気分循環症)を発症している場合があるそうだ。私はつい最近、医師からの説明を受けるまで、この病名を知らなかった。

(参考)気分循環症/気分循環性障害 | こころの病気(専門編)

読者の中に「自分もまさにそんな状態だ……」と思う人がいれば、すぐには治らないこの疾患と共に、どうにか上手く生きていく方法を一緒に考えたい。また、それらの症状が身近ではないという方々にも、「こんなことで悩んでいる人がいますよ~」と紹介するような気持ちで、この気分循環症について書いてみようと思う。

かりそめの天国と地獄

気分の急激な上昇と下降によって表面化する症状は、日常生活に少なからず影響する。

ここでは私の実体験と、医師の話を踏まえてこの疾患の詳細を説明してみる。なので、今から述べる事柄は何らかの絶対的な基準を示すものではなく、症状には大きな個人差があるということに留意してもらいたい。

軽度の躁状態にみられる特徴は、以下のようなものだ。

・「今なら何でもできる」という全能感に包まれ、誇大妄想的になる。

・この世界に生まれてきて良かった、自分の人生は最高だと心から思う。

・新しいアイデアやこれから始めたいことがどんどん浮かんでくる。

・気分が高揚して眠れなくなる。

・普段と比べて活動的・饒舌になる。

本人は上記のような症状が出ていても、それが問題であるとは考えないことが多い。双極性障害Ⅰ型のような重度の躁とは異なり、周囲の人間や本人の社会的な立場を脅かすほどの派手な行動(例えば買い物のために異常な額の借金をし、その返済に追われるなど)は見られないためだ。

突然元気になり、ろくに眠らず何かに取り組むようになるので、友人や家族からは「無理をしているのではないか」と心配される。けれど私自身はこの状態の時とても幸せだし、課題や仕事にも自然と熱が入るのでかなり快適だ。きっと全てがうまくいく、という根拠のない確信に支えられているので、目に見える世界、感じられる世界はまるで天国のようでもある。

だが睡眠時間が減るので心身への負担が大きく、無意識のうちに疲弊する。

私は気分循環症になる前、1年半ほど続いた抑うつに苦しんでいた。だから急激な気分の上昇が観測された時には、「うつが治って元の自分に戻ろうとしているみたいだ」と思って喜んだものだった。

しかし注意しておきたいのが、この状態は決して長く続かないということ。通常は4~5日、短い時は半日程度で顕著な症状が収束し、その後は1週間ほどのインターバル(落ち着いた状態)が訪れて突然始まるのが次のフェーズ。軽やかに高く舞い上がるような世界がくるりと反転して、うつ状態へ陥るのだ。

うつ状態に入った時、私は以下のような苦しみに苛まれる。

・自分の行動や存在に一切の価値を感じられなくなる。

・今まで積み重ねてきたことの全てが無駄な気がする。

・これから先の人生で何か良いことがあると思えない。

・布団に入ると不安で涙が止まらず、夜通し眠れない。

・いま感じている苦痛は、過去に自分が犯した何らかの罪に対する罰であるように思う。

この時私が考えるのは、ただ「楽になりたい」ということだけだ。とにかく言葉にできないくらい辛い。呼吸をするだけでも疲労を感じ、そんな状態で存在していることが恥ずかしく、周囲のあらゆる人間に対して申し訳ないと思い自分を責める。

目を瞑れば、襲ってくるのは過去の失敗の記憶と将来への不安。気分を変えて趣味に没頭しようとするも、「こんなダメ人間が何かを楽しもうとするなんて……」という罪悪感が生まれるだけ。

体調への影響が出て、原因不明の高熱を出したり、貧血に似た症状で立っていられなくなったりするのも珍しくない。

また、軽い躁状態の時にとった行動のツケが、うつ状態の時に回ってくる場合がある。元気な時に活動する範囲や請け負う仕事の幅を広げすぎたせいで、落ち込んだ時に全てを遂行することが困難になり、収拾がつかなくなってしまうのだ。

この地獄も数日ほどすると嘘のように治まり、再び新しい気分のサイクルが回り始める。

これらの症状は自分の意思によって制御することができない。日々の中で嬉しいことや悲しいことが何もない時でも、気分は勝手に上昇していき、何の前触れもなく急降下する。それはまるで、自分ではない別の生き物が頭の中に棲んでいるような感覚だ。

気分循環症に一方的に振り回されない工夫

気分循環症を抱えながら過ごしていくために、今までいろいろな対策を試みてきた。

なかでも効果的だったのは、「自分の精神が今どのような状態なのか」をできるだけ詳細に毎日記録し、症状の経過を目に見えるような形で残すことだった。

自信に満ち溢れている・活動的になっている・絶望感がある・無気力になっている等――自身の感情の波と、その状態がどれくらいの期間続いているのかを、手帳のカレンダーに書き込んでおく。面倒だけれど。

軽い躁でもうつでも、その渦中にいると、自分の精神状態がいつもと明らかに違うことに気付けない場合が意外と多い。

異様に元気な状態の時は「これが本来の自分だ」と感じるし、無気力と絶望の中にいる時は他のことを何も考えられない。驚いたことに、比較的落ち着いている期間には、自分の気分がこれから勝手に変動する可能性のことなどほぼ忘れてしまうのだ。そのとき、感情の手綱は私自身ではなく、精神疾患の側に握られている。

カレンダー上の記録を見返せば、情動のサイクルが今どの部分に差し掛かっているのか自覚できる。そうすると、不自然に快活な日が続いている時には「あまり調子に乗らないようにしよう」と意識し、後のしわ寄せで困ることを減らせる。逆に「もう何もかもダメだ、生きられない」という苦しみが理由もなく突然襲ってきた時には、「これもしばらくすれば消えていくはずだから、過剰な不安を感じなくてもいい」と言い聞かせることで少し冷静になり、衝動的な行為や極端な思考を抑えられる……かもしれない。

可能なら、普段よく顔を合わせる人間に、自分の症状について説明しておくのも良い。今では、私が突然活発になり、その後は普通に過ごしていたかと思えば無気力な状態になるのを繰り返している事実を、そのつど指摘してくれる友人達がいるのでとても助かっている。

ただ、それには少しの注意が必要だった。私は以前、とても信頼していた人間にこういった事柄をさりげなく伝えてみたところ、「気分がころころ変わるのはわがままなだけ」「甘えている」「体調の悪化も単なる思い込み」などの言葉を返されて目の前が真っ暗になってしまった。その後はしばらく「自分はただ精神が未熟なだけの人間なんだ」とひどく悩み、それが心理的に大きな悪影響を及ぼした。その後遺症がいまでもあとを引いている。

気分循環症に限らず、精神疾患について他人に打ち明けたり相談したりする際は、理解や共感をしてもらえるという期待をあまりしないことと、相手の反応に傷つく必要はないという意識をしっかり持っておくことが、自分の心を守るのに繋がると実感した。

自分の意思とは関係なく変動する気分を完全に制御できなくても、それによって必要以上に疲弊させられないよう工夫することはできる。

まだ手探りではあるけれど、そのうち、気分循環性障害に「振り回されている」のではなくて、「一緒に生きている」のだと心から思えるようになりたい。

そうすれば、ただでさえ生きづらい自分をさらに生きづらくしているこの疾患を、自分のアイデンティティーの一部として、前向きに捉えられるようになる気がするのだ。

文:千野(@hirose_chino)(BLOG)

好奇心旺盛で飽き性な1995年生まれ。精神と肉体に暗示をかけながら今日もなんとか生きている。

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

同じく1995年生まれ。思い立った次の次の次の日くらいが吉日だと思っている。

TOPに戻る

ライフハックカテゴリの最新記事