人は無職に生まれるのではない。無職になるのである。生まれたときは何もしていなくたって無職だと後ろ指をさされたりしないのに、ある程度の年齢を過ぎると、どこにも所属せず何の肩書も持たないことを責められるかのように無職ということばがついてまわる。にんげんは大きくなると、どこかに属して誰かの役に立っていなければならない――つまりそういうわけなのだ。
この文章は生きのびるために無職になることを選んだわたしから、すべてのもうダメな人に捧げる転職失敗記である。
ダメなのはあなただけじゃない
わたしは二回続けて転職に失敗した。最後の会社は心身のバランスを崩して退職し、現在はのんびり無職生活を送っている。今後の当ては特にない。
今はいくらか落ち着いてきたけれど、やめるまで本当につらかった。「転職 失敗」「転職後 一ヶ月 もうやめたい」といったワードで検索すると、転職回数や短期離職のデメリットを深刻に書き綴りつつ転職情報サイトに誘導するアフェリエイト記事や、「つらいこともあったけど、こうしてわたしは成功しました!」という意識高い系の成功体験ひけらかし記事ばかり引っかかる。それにずっと苛立っていた。
しつこいくらい失敗談を書き連ねるだけの記事があったっていいじゃないか!
大丈夫。ダメなのはあなただけじゃない。「なーんだ、俺よりもっとダメなやついるじゃん」「ダメなのは私だけじゃなかった」というように、わたしの失敗の軌跡がすこしでも誰かの慰めになったら嬉しい(そしてあわよくばわたしのことも慰めてほしい)。
転職失敗理由1 求人の見方が分からなかった
これまで二回転職に失敗していると書いたが、ここでは最初に失敗した会社を仮にA社、二回目に失敗した会社をB社とする。A社を退職した理由は低賃金、B社を退職した理由は長時間労働とハラスメントなのだが、今思えば応募する時点で両社の問題点はある程度予想できたはずだった。
わたしはシンプルに求人情報の見方が分かっていなかったのだ。
「え? ●●転職には昇給年4回って書いてあったのに3ヶ月経っても上がらないよ?」「え? ××転職には振替休日有りって書いてあったのに土日出ても休める気配ないよ?」
そう。わたしは求人票に書かれていたことを全部真に受けていた。
「昇給年4回」は昇給できるチャンス(面談)が年4回あるというだけで、必ずしも昇給できるとは限らない。「振替休日有り」は、制度自体はあるけれど肝心の振替休日をいつ取るかまでは自由に選べない(繁忙期は何十日も連勤が続く)。
こうした入社前と入社後のギャップを最小限にとどめるため、ひとは頼れる友人や家族に相談したり、転職エージェントを利用したりするのだろう。ではなぜわたしにはそれができなかったのか?
転職失敗理由2 とにかく焦っていた
わたしはとにかく焦っていた。A社に入る前は、大学院に籍はあったものの半分フリーターのようなものだったので、なんとしてでも「正社員」という肩書きが欲しかった。一日も早く欲しかった。なんとか社会に紛れ込もうと必死だったのである。
A社には、転職情報サイトのスカウト機能を通じて採用された。応募から内定(入社の決意)まで2週間はかからなかったとおもう。正社員になれればなんでもよかった。
けれどもわたしはA社を1年で退職した。昇給などあるはずもなく、もちろん賞与もほぼゼロ。A社に勤めていた1年間のわたしの年収はかろうじて200万円を超える程度だった。当時は友人とルームシェアをして暮らしていたのだが、生活は常にカツカツだった。
働かない上司、理不尽なクライアント、ネトウヨの同僚。そんな中歯を食いしばって働いても生きるだけでせいいっぱいで、精神的にも金銭的にも余裕がなくなっていく。入社後半年を過ぎたあたりからわたしは転職を考え始めた。
それがよくなかった。結局、余裕がないときに正常な判断ができるわけないのだ。
A社を1年でやめた後に入ったB社をわたしは結果的に3ヶ月で退職した。長時間労働や振替休日なしの土日出勤が当たり前で、日々フロアを怒声が飛び交っているような環境だった。そんな会社入る前に分かりそうなものだけれど、わたしは気付かなかった。いや、気付いていたのになんとかなると思っていた。なんとかしたいと思っていた。
転職失敗理由3 自分がダメだと認められなかった
コミュニケーションは不得手だし、こまやかな気配りができるタイプでもない。ひとの言うことを聞くのは苦手だし、かといって指示を与えることもできない。けれども勉強だけは得意だった学生時代の見栄の名残で、「わたしは仕事ができる」と思っていた。いや、そう思い込みたかったのだ。「わたしは仕事ができるべきだ」と。
見目良いわけでも愛嬌があるわけでもなければ、大学院にまで通って何かなしたわけでもないわたしは、勉強に代わる何かを仕事に見出したかったのだろう。
わたしには立ち止まる勇気も、自分はダメなやつだと認める度胸もなかった。だから生き急いでろくでもない会社に就職した。ろくでもない会社でもがんばっている「できるやつ」だと思われたかった。
「正社員になってちゃんとしなければならない」という内面化された価値観と、「仕事ぐらい人並みにできる」というしょうもないプライド。
自分で自分の首を絞め続けた結果、わたしはA社でもB社でも軽度のうつ状態に陥った。医師には二度とも適応障害と診断されたが、原因は職場にあるのではなく、自分自身にあると本当は分かっていた。自分のダメさから逃げ続けている自分に。
ちょっとでもマシに生きのびたい
B社をやめた直後は多少無理をしてでも再就職活動をしていた。しかしかかりつけ医や周囲の助言もあって、これではまた同じ過ちを繰り返すだけだとようやく気が付いた。今はなけなしの貯金を食いつぶしながらだらだら日々をやり過ごしている。気持ちが沈んで寝ている時間も多いが、気まぐれにひとと会い、気まぐれに映画をみて、ぼんやりこの先のことを考えたり、考えなかったりしている。
無職になってみるといろいろなことが見えてくる。いかにこれまでわたしは自分自身のことを縛り付けてきたのか。「●●しなきゃいけない」「××であるべき」なんてルールほんとうは何一つないはずなのに、自ら進んで社会にとって都合の良いにんげんになろうとしていたのだ。
無職生活をしていると「何もしてない」ことがどうしようもなく苦しくなったりもする。
この記事では現実的な諸問題には敢えて触れていないのだが、お金はもちろんない。自己都合退職では失業保険をもらうまでにものすごく時間がかかるし、とにかく今の日本はクソみたいな国である。
そんなクソみたいな世の中でわたしが選べる手札はごくごく限られている。まっとうにハッピーに生きられなくてもいい。ただちょっとでもマシに生きのびたい。そのためにわたしは変わりたい。今はクソみたいな世の中に染まろうとした――染まりたかった――過去のわたしを、「何もしてない」無職のわたしがゆっくり殺しているところだ。
文: なめこ(@vknty133)
編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)