6月17日を最終出社日にして(退職日は有給の関係で7月8日付)、いまの会社を辞める。これからは、すこしの間「無職」になる。
新卒で入社して1年弱。すでに2人(うち1人は入社2ヶ月でイレギュラー的に退職)転職を果たしているという事態から、この文章を読んでいるあなたは、おそらくいろんなことを察するだろう。もちろん、おおむねその推測は当たっている。なんならもっと酷い状況の会社や、より過酷な境遇に置かれているあなたの知人・友人の顔を(あいつ、ぜんぜん連絡がないけど……と)、思い浮かべることさえあるかもしれない。
けれど、現在の職場や関わりのあった同僚を「断罪」しようという気はない。優しい大人や同世代がたくさんいた。ふつうだったら行けない場所に行き、会えない人に会った。今まで聞いたことのない言葉を聞き、書いたことのない言葉を書いた。この会社に入らなければできないことだったと思う。「貴重な経験だった」とあとから振り返って言うだろうし、今も言っているし、それ以上に付け加える言葉は、なにも思いつかない。
いまのまましばらく同じことを続けることもできたけれど、結構しんどかったのが正直なところだ。午前9時から始まって、日中は割と自由が効くけれど、夜はだいたい遅い。上のポストは埋まっているし、昇進したとしても、そこまでの待遇は見込めない。むしろ、上長たちの仕事ぶりをみていると、余裕のなさばかりが目に付く。選手としてはバリバリやれるけれど、監督としては前に出すぎている、という人が多かった。いまある業務はすべて自分でやろうとするし、業務を振ることについて、ほかの人に頼むのは「自分のためにならない」とか、「お客さんの信頼を失う」と考えているのではないか、と思う瞬間がままあった。怖いもので、自分もやがてそのように考えるようになった。
だから、自分で「イエローカード」を切った。2枚で「退場」になるくらいだったら、さっさと自分からゲームを降りたほうがいい。高校か大学の時、スポーツトレーナーの話で「ストイックな子は引退が早い」と聞いたことがある。ケガをしたときに休まないで練習を続ける子は、たしかに「優等生」ではあるけれど、そのまま古傷を抱えながらプレーすることになる。フェデラーは、「長いテニス人生を送るためには、スケジュール設定が重要だ」と話している。彼は今年で38歳、世界ランキングは3位(5月27日現在)だ。
「降りる自由」
根を詰めて働けば働くほど、疲労感とか、「今日も働いたな」という達成感を得られるのと同時に、とつぜんむなしくなることがあった。「なにを?」「いくらで?」「どのように?」「うまくいく?」……、みんな業務を進めるうえでこのように自問自答していたようだけど、自分は、「それで?」と問うことしかできなかった。クールに、「だから何?」と開き直れたら話は違ったかもしれない。
休日だって、本当は朝から晩まで寝てたっていいわけだけど、実際そうすると、「焦り」とか「後悔」ばかりが募った。「なにもしていない」ことにたいして、誰かから、後ろ指をさされている感覚があった。明日から始まる一週間のことを思って、不安に駆られる。そんな生活のなかで、この一節の正しさを、身をもって確認した。
資本制社会では、労働力が商品となる。だが、正確にいえば、労働力が商品となるのではなく、労働力という概念ーー労働から区別されるーーそのものが、すでに商品形態の分析からくるものなのである。(中略)重要なのは、そのような商品の所有者が歴史的にあらわれたことである。
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』
「商品の価値は商品には内在していない」というこの本の主張は、たいした仕事を成し遂げられるわけでもない新卒2年目の社員にとって、正気を保つために必要だった。
資本主義は、自分の生活に、大量の雑誌や書籍を購入したり、映画や音楽を鑑賞できる経済的な余裕をもたらしたけれど、それらを十分に楽しむための時間は、無慈悲なまでに奪っていった。「贅沢を取り戻す」こと。ちょうどむかし読んだ『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎)のことが思い出される。せっかくなので引用しようと思う。
贅沢とは浪費することであり、浪費するとは必要の限界を超えて物を受け取ることであり、浪費こそは豊かさの条件であった。現代社会では(中略)人々は浪費家ではなくて、消費者になることを強いられている。物を受け取るのではなくて、終わることのない観念消費のゲームを続けている。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
「物を受け取る」ためには、自分の目の前にあるモノ/コトを「楽しむ」必要がある。でも、そんな余裕があるだろうか? 時間やお金との兼ね合いだなと思っていたら、続けて「容易ではないから、消費社会がそこに付け込んだのである」と記されてあった。
世の中には営業職に就いている人がいて、直接商品を売り込みに行って、あるいは、広告があって、パブリシティー(記事)を読まされて、みんなあることないこと喋りまくっている。あれがよかった、これはクソ、この広告作ったのオッサンでしょ、この記事つまんない、なんか家にめっちゃ電話かかってくるんだけどって、たぶん何十年もみんな文句を言いながら、悩みながら、高いお金を払って、生活を続けている。
そうではなくて、それとはちがう形で、あなたとはちがうかもしれない、「欲しいもの」が欲しい。知らないことを知りたい。とつぜん目の前に、新鮮な驚きをもって現れるなにものかを待ち伏せていたい。昼下がりに流れるラジオにゆっくりと耳を傾けること、緑に色づく木々が風に揺れるのを眺めること、だんだんと赤く染まる街の景色に心を動かされること。いままでとは違った豊かさが、どこかにあるはず。もしくは、見知ったものが、ぜんぜん知らない姿に変わる瞬間に居合わせたい。徐々に変わっていく地元の街の景色を、間近で見ていたい。近所の子どもが、あっという間に大人になっていく時の流れの速さに、圧倒されたい。
これから
早めのリタイアだった。しばらくは次の準備をしつつ、勉強(研究?)すると思う。やっぱり、お金を稼ぐって大変だなと思った1年弱だった。身一つで出て行って無傷でいられるわけがない。きちんとした準備を怠ったまま働きに出てしまったのかもしれない。だったら、もうすこし「道具」なり「武器」なりを身に着けたほうがいいのではないか、と思っている。
そういえば、いつも思い出す言葉がある。ボルヘスの、その後さまざまな書き手によって引用される一節だ。多少の「困難」に直面しなければ何者にもなれないのだといったような、保守的で時代錯誤な印象を抱かせる以下の文言を、いくつかの実体験に照らし合わせながら、つねに、「本当だ」と感じて生きてきた。たぶん、これからもそうだと思う。
もしかすると、似たような思いを抱いて生きてきた人(そう遠くない場所で生活してきた?)もいるかもしれない。遠くで暮らす彼ら・彼女らに思いを馳せつつ、この文章を書き終えて、自身の明日に臨みたいとおもう。
そこで、これから行なう模索には、いささかの忍耐をもって接してもらいたい。
J・L・ボルヘス
文:うどん二郎(@JFK_15min)
1995年生まれ。横浜市青葉区在住。早大文構卒業後、地域紙記者を経て無職に。すべてを投げ出して卓球がしたい。
編集: 渡良瀬ニュータウン(@cqhack)
1995年生まれ。同じく、一時的に無職になりました。