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どうでもいいウソをついてしまう/ほんとうのことがいえない

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中高生の頃、カラオケやファミレスで順番待ちの受付表に好きな人や推しの名前を書いたことはないだろうか。わたしはある。

というか、むしろそういう場面で本名を書くことの方が少なかったようにおもう。「3名でお待ちのオオノ様~」「2名禁煙席ご希望のニノミヤ様~」なんて店員から呼ばれるたび、友達と顔を見合わせてくすくす笑ったものだ。

その手の他愛のないウソを生涯で一度もついたことがないという人はほとんどいないのではないか。もちろん、受付表に偽名を書く以外にもさまざまなバリエーションがあるだろう。未読の本を読んだ振りをするとか、待ち合わせに遅れた理由をそれらしくでっち上げるとか。

「ウソついたら針千本飲ます」「ウソつきは泥棒のはじまり」と言うけれど、誰にも迷惑を掛けないウソや誰かに迷惑を掛けないためのウソならいくらついてもいい、むしろ積極的につくべきだ、というのがわたしの持論である。

いや、持論というのは正確な表現ではなかったかもしれない。むしろわたしはほんとうのことが言えないのである。のべつまくなしにどうでもいいウソをつき続けてしまう――これが、自分史上最も重大で下らない悩みなのだった。

たとえば職場の同僚に週末の予定を聞かれたとする。ほんとうは友達と映画を観に行く約束をしているのに、「朝イチで原宿のジャニーズショップに並びます」と根も葉もないウソをついてしまうのだ。

わたしはウソをつこうとおもっているわけではない。自分のことを「生活の中心がジャニーズの人」だと認識している同僚に対して、なるべくその解釈に沿った回答をしようと意識しているだけなのである。

その結果、架空の予定をぽろりとこぼしてしまい、「なめこさんはさすがだなあ」などと変わり者好きの同僚から苦笑交じりの称賛を得たり得なかったりする。

投げかけられた質問にウソで答えるだけでなく、エピソードそのものを捏造するケースもある。友人との会話のなかで「仕事で関わりのある厄介な取引先」に話題が及んだとしよう。態度がデカい、無理難題を振ってくる、ハラスメントまがいの言動を繰り出してくるなど、友人たちのさまざまな苦労話を聞きながら、「まだ登場していないパターンの悪質クライアントはないか」と自分の記憶の引き出しを片っぱしから開けてみる。が、上手い具合にオチをつけられるような実体験などそうそうあるわけもない。

したがって、自分の番になるととりあえずもっともらしいウソを話している。もちろんゼロベースから顧客や案件の設定を考えるのは骨が折れるので、虚実をとりまぜて適当にそれらしく仕上げるのだ。「話すことがないなら黙っていればいいのに」とおもわれる方もいるかもしれない。まったくもってその通りである。わたし自身もほんとうは黙っているべきだと分かってはいるのだが、黙っていられないからウソをついてしまう。というか、ウソでもつかないと話すことができない。話題が皆無なのだ。

つまり、ほんとうのことを言おうとすると何も言えなくなってしまうのである。

ことばを変えると、わたしは生身の人間との対話において、自分の情報を開示することがとてつもなく下手なのだとおもう。人に話せるようなことも話したいことも特にない。

思想や心情などは大抵の人と議論をしても疲れるだけだし(分かり合えない上に、分かり合えないことを受け入れられない人がほとんどだから)、自然とほんとうにおもっていることは口にしなくなる。もちろん趣味や嗜好に関しても同じことが起こりうる。

さらに言うと、日々の生活もかなり荒れたものだ。壁一面に推しアイドルのポスターや好きな画家のポストカードを乱雑に貼っている自室には、500mlサイズの空きペットボトルが何本も転がっており、本棚に入りきらず積んでいる小説の山が今にも雪崩を起こそうとしている。今この文章を書いている小さなテーブルのかたわらには、多種多様なインスタント麺が無造作にダンボール箱へ押し込められている。

こんな状況で、どうしてほんとうのことを話せるだろう?

生活に四苦八苦するようになる以前、幼少のみぎりからわたしはずっとどうでもいいウソをついてきた。記憶している最古のどうでもいいウソは、幼稚園で昨日の夕食の話になり、仲の良い友達が「カレーを食べた!」というので、つい「あたしも!」と言ってしまったことだ。

当時わたしは自分を含めて三人の仲良しグループで行動していたのだが、件の友達とわたしが「カレー仲間」を結成するなか、残る一人は勇敢にも「うちはおでんだった」と告白した。「や~い、○○ちゃんだけ仲間外れだ~!」とわたしたち二人は彼女を攻撃したが、わたしがその前日の夜食べたのはうどんだった。病みあがりで食欲がなかったのである。カレーなんぞ出てくるはずがない。悪いことをしたとおもう。

要するに、わたしは恐ろしくコミュニケーションが下手で、すさまじく臆病なのだ。ウソをつこうとおもってついているのではないが、目の前に対座している相手と会話を続けようとするとウソをつかずにはいられない。黙ってただその場にいる勇気もなく、取るに足らないウソをつき続けてがんじがらめになり、気付けばますます何を話していいか分からなくなっている。一体どうしたらいいのだろう? どうしたらほんとうのことを話せるようになるのだろう? そもそも、みんなほんとうのことを話しているのだろうか?

「カレーを食べた」というちょっとした、それでいて充分いやらしいウソをついた園児時代から四半世紀近く経った今でも、わたしはほぼ毎日この種のどうでもいいウソを生み出している。この文章にも、そんなどうでもいいウソが満ち満ちている――かもしれない。

文: なめこ(@vknty133)

恋するおたく。ほんとうのことが言えないのでしばしば刺されそうになる(まだ刺されてはいない)。結婚とか出産とかそういうものとは無関係に、無責任に、あしたも恋がしたい。

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

よくつく嘘:「amazonからの荷物を受け取りたいので今日は定時で失礼します」

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