昔話をする。
あの頃アサトは23歳だった。とにかく仕事が忙しかった。それでも休みが合えば、卒業したサークルの飲み会にはなるべく顔を出した。そこにミハルがいた。21歳。かわいい、と思ってしまった。
アサトは実家暮らし。ミハルも当然実家暮らしで、しかし就職に失敗したことで多少肩身は狭いようだった。ミハルはよく「夕飯たべよ」とアサトにねだった。
「親がうるさいねん」
昼はひとりだから気楽だが、夜は親が帰ってくるから嫌、というわけだ。小言をおかずに食う飯はまずい。だからアサトがいくら残業してもミハルは絶対に帰らない。しかし連れて帰るわけにもいかないから、外で食べるしかなかった。安い飯屋とはいえ、毎日ともなれば多少は懐に響く。でもミハルの顔を眺めながら食べる夕飯はうまいし、残業代も出るしまあいいか、と思いながら毎日過ごした。
アサトはいつも自転車でミハルの家へ行った。近かったのはたまたまだ。ミハルの両親にこんにちはを言い、部屋へ上がって一緒にテレビゲームをした。案外じょうずなミハルを、アサトは横でぼんやり眺める。ゲームは得意でないが、人がやるのを見るのは楽しい。まして恋人ならなおさらだ。贅沢な休日だった。
ミハルが家へ来ることもあった。ある時ふと高校の卒業アルバムを見せたら、「これ誰?」と聞かれた。勘がいい。おどけたふりをしているアサト、その隣に写っているのは当時好きだった子だ。アサトは正直にそう言った。
「嫌やそんなん」
ミハルはアルバムを燃やすと言う。やめたらいいのに。こんな寒い日に。もうミハルしか好きじゃないのに。いくら言っても聞かないから、しかたなく一斗缶をガラガラと物置からひきずってきて、アルバムを放り込んだ。ミハルがマッチをつける。投げた火はまるで燃え上がらず、ビニールの表紙をのんびりと溶かし、分厚いページの端を焦がした。ミハルはいらだち、アサトは気まずく、マッチ箱はほとんど空になった。
時々アサトはミハルにこづかいをやった。忙しいからお金に余裕はあったし、忙しいから何も考えず渡した。ミハルはあたりまえのように受け取り、元気いっぱい遊びに行った。そういえば、あげた万札を直後にすられたことがある。八つ当たりするミハルを叱る気にもならなかった。本当にあの頃は忙しかったから。
ある日ミハルが突然「免許取ろうかな」と言い出した。免許か、ああいいんじゃない。どこで取るの。理由なんて別に聞かなかった。ミハルが取りたいというなら取ればいい。お金はもちろんアサトが出した。合宿から帰ってきたミハルは、親の車にアサトを乗せてどこまでも、どこまでも走った。
一緒に映画を観た。旅行もした。テレビゲームはいつまで経ってもアサトのほうが下手だった。いつの間にか5年ほどが経ち、そして突然、ミハルは就職した。遊び仲間に誘われたらしい。どうせすぐに辞めるだろうと思ったが、まったくそんなことはなく、ミハルは “社会” に馴染んでいった。ちょうど5年前の自分がそうだったように。
「あんな、上司がな、」
同期が、業務が、シフトが、客が。安い飯屋で、毎晩アサトにこぼすようになった。いっぱしの口をきいて、と思ってしまった自分にアサトは困惑した。ずっとかわいい愛玩動物でいてほしかったのか? 気づけばあの頃ほど仕事が忙しくない。会社は徐々に傾きつつあった。給料ももうこれ以上もらえない気がする。28歳と26歳。
なあ、ミハル、もう別れようか。
アサトの昔話はこれでおしまい。では問題。ふたりの性別を当ててください。
この文章は私のnote記事をきっかけに行った “かつて無職とつきあっていた方” へのインタビューを基に書いたものだ。ご協力くださったSさん、ありがとうございました。
もともとは先述の記事同様、普通のインタビュー形式でまとめるつもりだったが、お話の途中で何度も
「もしも性別が違ったらと思うと最低ですよね」
とおっしゃっていたのがあまりに印象的で、このような形にさせていただいた。社会的、または個人的なバイアスについて考えずにいられなかったし、できれば自分以外の方にもこの感覚を共有したかったので。
なお解答は、内緒だ。
文: 増倉愛(@loveagogo_)
編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)