やさしさって、なんだろう

「あなたって、中途半端にやさしいよね」
大昔、まだ学生のころに付き合っていたひとに言われたことがある。その彼女とはほどなくして別れた。なんとなく、もう終わりが見えかけていた。
客観的に見てもまぁ、わたしは「やさしい」といわれるほうだとおもう。自分がされたらうれしいだろうな、とおもう行動を、自分の周りのすきなひとたちには取ってきた。その結果、頼りにされたり、すきでいてもらえることがうれしいからだ。わたしのやさしさはぜんぶ、自分のためだ。
愛情と信頼という見返りを、明確に求めてしまっている。そういうところが、彼女には中途半端に見えたのだろうか。

「やさしいひと」であることの、こわさ

「やさしい」という言葉には、ほんとうにものすごくいやな言いかただけど、ちょっと「副作用」のようなところがある。もちろん、言われること自体はとてもうれしいことなのだけども。

なんていうかさ、「やさしいひと」ってやつは、期待をされがちなんだ。きっと許してくれる。きっと頼みを聞いてくれるって。だってやさしいからだ。でも、たとえばこういうのってどうだろう。
「やばい、待ち合わせに遅れてしまいそう!でもいいよね、あのひとやさしいから許してくれるよね。」
それって、ただの「甘え」だし、「相手の軽視」じゃない?って。

いつでも、だれにでも、やさしくできるわけじゃないんだ。なめられたり、ばかにされたらいやな気持ちになるし、機嫌がわるければ、冷たい態度を取ってしまうこともある。利用しようとして近づいてくるひとには、不快感を示すことだってある。
そうすると、どうなるだろう。「あのひと、わたしにはやさしくない」っておもわれてしまう。

勝手に期待して、勝手に理想を押し付けて、勝手に幻滅して、勝手にきらわれる。「やさしい」ということばの、幻想。

「やさしいよね」と言われるたびに、うれしい反面、「このひとは、やさしくないわたしのことも好きでいてくれるかな」と不安な気持ちになってしまう。ただでさえ、わたしの「やさしさ」はギブアンドテイクでできている、中途半端なやさしさ、なのだから。

友達のユウコのはなし

この前、ユウコという介護の専門学校時代の友達と食事をしてきた。彼女は卒業して12年経ったいまでも介護士をしていて、現場の最前線で働いてるひとで、利用者のおじいちゃんおばあちゃんにものすごく好かれるひとで、徹底した利用者優先の仕事っぷりから、一部の職員からはちょっと疎まれているひとだ。

「60代のパートさんにがんがん仕事振って回すってさ、たいへんじゃん。だからオムツ交換とか、腰にくる仕事は『わたしやりますよ』って代わったりするんだけどさ、『パートに媚を売ってる』って一部の職員に言われたりして。ほんと腹立つよねー。」
笑いながら、ユウコが言う。
「……ほんとひどいね。そのパートさんたちは、かばってくれないのかい?」
わたしの質問に
「ないねー、わかんない。あのひとたちにも媚売られてるとおもってるのかも。」
あっけらかんと、そう話すユウコ。
「でもさー」
彼女は続ける。
「そうは言ったって、やっぱ体力的につらいじゃん。20代30代とおなじことを毎日さぁ。せめて私の時くらいはやったろう!って、おもうじゃん。」

長い付き合いではあるけども、改めて「こいつ、すげぇな」とおもった。ひととして、こいつには勝てないなって、そうおもったのだ。
そうだ。連絡不精のわたしが、専門学校時代の友達のなかで、いまだに頻繁に連絡を取ってやり取りをしているのはユウコだけだ。連絡が彼女のほうから定期的に来るからだ。
彼女は、中途半端じゃない、ほんとうに「やさしいひと」なんだなぁ、とおもう。わたしとちがって、他人に見返りのないやさしさを注げるひとだ。

「あとで起こすのたいへんだから、とかじゃないじゃん。多少タイムスケジュールから遅れたって、どこかで取り返せばいいんだから。お風呂のあとくらい、利用者さん疲れてるんだから、ちゃんとベッドで休んでもらったらいいのに。」
どこの世界にも、自分が楽であることを優先するひとはいる。そういうひとたちが多いいまの職場で、ユウコはちょっと浮き気味なのだという。

「やさしさ」っていったい、なんなんだろう

わたしのように中途半端ではない、といっても、しあわせになれるわけじゃない。むしろ、そのやさしさゆえに、心ないひとたちのなかで、いやなおもいをしてしまうこともあるのかもしれない。報われないことのほうがおおいのかもしれない。

でも、利用者のおじいちゃんやおばあちゃんは、ユウコに救われている。おなじように、中途半端でも、たとえニセモノだとしても、きっとその「やさしさ」は誰かを癒しているとおもう。ほんとうは、そんないい人間じゃないんだよっておもったって。周囲とのギャップにくるしんでいたって。それでも、わたしはできる範囲でひとにやさしくいたいし、やさしくあろうとするひとのことがすきだ。

だから、あきらめたくないなぁ、っておもう。「やさしいひと」であることを。つらいことはたくさんあるし、範囲は狭めていくかもしれないけど。今よりももっと中途半端になってしまうかもしれないけど。じぶんなりに、迷いながらやっていきたい。
なんていうかさ、むずかしいよね、「やさしいひと」って。だから無理せずに、できる範囲で、やろうぜ。

文:少年B(@raira21)