浮気したい人のための恋愛論

 

「恋人を悲しませたくないけど遊びたい」というジレンマ

 

とにかく恋愛が上手くいかない。恋人がいても他の人とデートやセックスをするのは、私にとっては当たり前で、それが原因で何度も恋人との関係を悪化させてきた。付き合う人は皆、悲しそうな顔をして「君のやっていることは浮気だ」と言った。それで、「ああ、この人にとっての浮気ってこうなのね」と分かった私は、浮気だと認識される行為(例えば、2人で飲みに行くとか)を避けるようにした。正直それはしんどいことだったが、好きな人が悲しそうな顔をするのは嫌だった。

別に恋人を愛していなかった訳じゃない。むしろいつだって大好きだった。それでも、自分がしたい時にしたいように振る舞えないというのは、非常にストレスがだった。私自身は、恋人がいても他の人と関係を持つことを悪いと思っていないし、付き合った人がそういう行為をしていても気にしない。でも、恋人は違うのだから、私が我慢しないといけない、愛しているなら当然だ。そう思っていた。

 

 

ジレンマからの解放

 

認識が変わったのは、今の恋人と同棲を始めてからである。彼も私も、恋人が自分以外と関係を持つことを気にしないタイプだ。相手に連絡しないまま一晩中帰らないことだってある。家事分担も適当、カップル間のルールも特に決めていない。そんな状態で一緒に暮らして、1年以上が経った。今のところストレスフリーである。

どうしてこの人と一緒にいると、とても楽に過ごせるのだろうか。恋愛や生活に対する価値観が合うから、というのはあまり正確ではなくて、というよりそれは表面的な理由に過ぎなくて、実際は「愛というものへの認識」が似ているからだと思う。私たちは、お互いの事を愛しているわけだが、愛の力なんて全く信じていない。愛しているからといって何でも我慢できるわけではないのだ。自分の思想や行動を強力に規定する力が、2人の愛にないと分かっているので、相手のことも愛で縛れない。私も彼もそういうスタンスでいる。

彼と私が付き合っているのは、愛の力によるものではなくて、今の関係にメリットを感じているからだ。一緒に住んでいるのも、その方がお互いにとって、精神的にも経済的にもメリットがあると考えたからである。愛による紐帯を信じない私たちは、両者が得られる恩恵を最大化することで、これまで関係を続けてきた。そのためにも、束縛はしないし相手の自由は尊重するようにしている。

 

 

必要だったのは、愛のあり方を自分自身で考えること

 

今振り返ってみれば、今までの恋愛関係において、私がしなければならなかったのは、ただ我慢することではなく、愛のあり方を疑ってみることではなかっただろうか。私が自由に振る舞っている間、かつての恋人たちは苦しんでいただろうし、恋人を悲しませまいと頑張っていた私も苦しんでいた。お互いが「愛していれば~できて当然だ」と思っているうちは、多分どちらかが、あるいはどちらも辛い思いをすることになる。愛にも人間関係にも正解なんてない。けれども、2人の間に愛があると信じていたなら、もっと愛について自分の頭で考えるべきだった。そして、自分の言葉で、愛について語るべきだっただろう。

きっと、恋人だからといって、愛だけでつながろうとする必要はない。今の私はそう思っている。付き合っている者同士かくあるべし、といった認識から解放されることで、私は救われた。恋や愛のあり方は、当事者が自由に決めていい。そのために私たちは愛を疑いながらも、誰かを愛していく。

文:@nulllog

編集:@cqhack