部屋が汚くてくじけるとき
部屋が汚くてくじけそうになったことはあるか。私はある。たくさんある。自分がしんどい時ほど、部屋の荒れようもひどくなっている気がする。
わたしは片付けや整理がすごく苦手だ。そもそも部屋をきれいに保てない。
「この散らかりはヤバいライン」を自分の中に設けているが、かなりの頻度で越えてしまう。すぐに片付けを実行できるといいのだが、ちょっとした忙しさやプレッシャーで余裕がないときは「ヤバいライン」を踏み越えたことにすら気づかない。散らかしながら日々のタスクをこなしていく。そして、何から手をつければいいかわからなくなった頃にやっと気づくのだ。
「人間の住むところではなくなっている…」
こんなになるまで放置してしまった自分はけっこうヤバいのではないか。ただでさえへとへとになっているところにたたみかけるように、不安や情けなさが襲ってくる。弁明しようのないほど荒れた部屋。思いやられる明日。遠い休日。
くじけそうになる瞬間である。
ここは回復の巣
部屋が汚くてくじけそうになったとき、わたしは自分のことを傷ついた野生動物だと思い込む。そして、汚い寝床をその動物の巣だと思うようにしている。
※ちなみに私が自分を投影する野生動物はドラゴンだ。「傷ついたドラゴン」という字面は詩的で壮大でかっこいいなァという理由からである。
落ち着いて散らかった部屋を観察すると、ドライヤーや飲みかけのペットボトル、さっき脱ぎ捨てた服など、今日を切り抜けるために持ち出したものや買ったものは、だいたい寝床の近くに寄っている。
この寝床の状態はかなり巣に近いのではないか。動物の寝食のための場所。自分の羽毛を使ったり、他の場所から必要なものを拾ってきて、一箇所に集めて作られる巣。
わたしだって、切迫してくると寝食どちらも布団の上でするようになるし、寝床周りの散らかりは、昨日までの生活の要素や外から拾って(買って)きた必要性で構成されている。
ただ適当に部屋のものをごちゃごちゃに混ぜているのではない。生きていく上で必要なものや今日持っていたものを近くに置いているのである。
そうすることで、あまり動かず、じっとして、回復に努めることができる。野生動物としては当たり前の選択だ。
改めて確認する。今自分がいるのは散らかった部屋ではない。ドラゴンが住むのは1Kではない。 羽を休める巣なのである。
重要な点は、いつ何に襲われるかわからない野生動物と、いつどんな出来事で悲しくなったり弱気になったりするかわからない私たちは似ているということ。 毎日にちょっとした不安がある限り、誰だって傷ついた野生動物なのだ。
あくまで私の体感だが、体力的な面でも、精神的な面でも、じっとしていることは回復の過程の第一歩だと思っている。本当に無理だと思うときは、動かずにじっと嵐が去るのを待つのだ。
部屋の機能性は忘れよう。自分の寝床が確保できていれば充分。今は丸まって寝るだけである。 片付けなんて人間の文明が薫ることは元気になったらやればいい。
おわりに
散らかった部屋を見て「自分は片付けができないダメな人間なんだ」と思う時、無力で心細くて、悲しい気持ちになる。 ただでさえしんどい状況なのに自分を責めてしまうと逃げ場がなくなってしまう。 自分が無事で今をやり過ごすことより良いことはないのだ。 自分の巣で傷ついているドラゴンに届けばいいなと思う。
文:愛着バグ(@oboro225)
編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)