「別れたい」と言うのに別れない人たち

私のまわりには幸せそうではないカップルが多い。SNSに書き込まれる愚痴、というよりもはや人格否定を読んでいると「別れればいいのに」と思ってしまう。そういう人に「別れたら?」と言うと、大抵「何にも知らないくせに!」と返されるので、いつも黙って見守っているのだが(実際、何も知らないのは事実だ)。

けれど、本当に、別れたらいいのにと思う。もっと正確に言えば「別れてみたら?」だ。

別れて、それでもお互い好きならまたやり直せばいい。たった数年でまた別の好きな人ができたのなら、それはもともとご縁のない相手だったのではないか。

運命だとかご縁だとかいう言葉が嫌いな人もいるけれど、私はこういう言葉が好きだ。私がロマンチストだからという理由もある。けれど、やはり運命だとしか思えないような出会いがあるのではないだろうか。こちらがどんなに気を付けていても防げない事故のように、そういう相手と出会ってしまうことが。そして「あれはもうどうしようもなかった。別れるという選択肢しかなかった」ということも、過去を振り返ればたくさんあった。

 

「別れたいのに別れられない」

「別れたいのに別れられない」という気持ちはよく分かる。私にも経験があるからだ。あれは結局「別れてもお互いが相手のことを好きでいつづける」という自信がないせいではないかと思う。

私も誰かと別れるたびに悲しくて死ぬほど泣いてしまう。自分がフッた側であってもだ。けれど別れの悲しさによって死にかけたことはあっても、本当に死んだことはない。そして別れを選んだことを後悔したこともない。なぜ後悔したことはないかというと、その時の私が持てるすべてを使って「別れを選ぶ」という勇気をふりしぼったからだ。

「星の数ほど男はいるんだよ」という慰めには共感できない。星が全部同じように見えるのは、地球から夜空を見上げて遠くから眺めるからだ。星は近くから見ればそれぞれ違う。だからこそ「この人しかいない」と考えてしまい、別れられない。

 

別れる勇気は誠意

私達は出会いとは別れの始まりだということをいつも忘れているのではないだろうか。生きるとはあらゆるものと出会うこと。そして出会うとは未来に別れの予定を立てることだ。ただそれが、遅いか早いかだけ。私達にはきっと覚悟が足りない。出会うことは別れること、別れることは出会うことであるのに、別れの痛みを引き受ける覚悟が。私も別れる勇気が出なくて別れられず、結果的にここではちょっと書けない最悪の事態を招いたことがある。そんなことを繰り返し、ついについたあだ名は「ダメンズ製造機」だった。付き合った相手をことごとくダメにしてしまうという意味だ。

やはり、別れる勇気は誠意の現れではないだろうか。

 

幸せになりたい

私達はきっと、できることならこの人が運命の人でありますようにと、もう別れなくてもいいような愛を探しているのだろう。しかし、別れをもっと前向きにとらえることも必要だと思う。なぜなら別れは新しい可能性との出会いだからだ。

そんなふうに出会いと別れを繰り返し、いつかやっとたどり着くことができたのなら。私はこの世界の隅っこで、何にも惑わされることなくその人と2人だけで完結していたい。あらゆることからどうかそっとしておいてほしい。毎日2人で小さな幸せを産んで、小鳥が卵を温めるようにそれを大切にしながら、暮らしていきたい。

 

文:野々原 蝶子(@tyou_ko)

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

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