自分の世界を守れるのは自分しかいない ──HSPとうまく付き合っていく

自分の世界を守れるのは自分しかいない ──HSPとうまく付き合っていく

身動きの取れない朝の中央線で、わたしは手首を鼻に押しつけている。数十分前につけたばかりの強い香水で、否応なく飛び込んでくる世界の匂いをシャットアウトする。自分で選んだ匂いとはいえ、頭がくらくらする。


キッチンで卵を茹でる。茹で上がった卵を水にくぐらせ、殻を剥こうとひとつ手に取る。突然わたしに襲いかかる、卵の殻の微細な凹凸。指先を削り取られるような気がして、背骨から後頭部まで震えが走る。掌に乗せているだけなのに、殻を爪でなぞる想像をしてしまう。いてもたってもいられなくなる。茹で上がったばかりの卵が床に落ちて潰れる。


金曜の夜の居酒屋。音の洪水の中で、知り合ったばかりの人と、コミュニケーションを試みている。この話に対する正しいリアクションはなんだろう。この人はわたしを自分と対等に見ているのか、見下しているのか。仕事の話をしたいのか、それとも。逆立った神経を抱えたまま部屋に帰りついて、ひとり泣き崩れる。


HSP(Highly sensitive person)という性質を持つ人がいる。さしあたりWikipediaのリンクを貼っておくが、要するに、自分を取り巻く環境から多くの情報を拾いすぎてしまう、繊細な人を指す。人より多くを感受してしまうから、簡単にキャパシティがいっぱいになる。


HSPは病気ではない。性質・性格を指す用語である。また、珍しいものでもない。全人口の5分の1、約20パーセントの人々はこの性質を持っている。


病気ではなく、珍しくもない。HSPは、着衣水泳をするように日々を暮らすわたしたちが生き延びるための言い訳になる。

大勢が我慢できるなにかが耐えられなくなったとき、たとえば駅のホームで電車の警笛が耳を突き刺したとき、「他の人も同じ音を聞いて平然としているのだから、取り乱してはいけない」と考えると、自分にはなにか欠陥があるのではないか、と思えてくる。しかし、「HSPの特性のひとつ、聴覚過敏のせいだから動揺してもしかたがない」と思うことができれば、それだけで少し気分は楽になる。さらに、自分が大きな音に過敏に反応するタイプの人間であると分かっていれば、たとえば電車が入線するときに耳を塞いでおくなど、不快・不安な状況に陥る前に対処することもできる。


自分の香水で嗅覚をノックアウトさせるのも、そういった自己防衛、というか、状況をマシにする手段のひとつだ。触覚が過敏でなければ、マスクをするのもいいだろう。
タスクがあふれてしまったら、パニックになる前に、「情報に対する感受性が強いのだからタスクを縦に並べてひとつひとつ減らしていくほうがいい」とまず一呼吸置いて整理することで、平静を取り戻す。
自分がなにに過敏なのかを把握できれば、対策をとったり、周りの環境をチューニングすることが可能だ。

真面目な人がこの性質を持っているとき、彼/彼女にとって世界は地獄だ。頑張りたいのに頑張れない、我慢しないといけないなにかが耐えがたい。頑張れないこと、耐えられないことを認めるのは真っ当なことであるはずなのだが、それを認めて出力を抑えるとまるでサボっているように感じられてしまうことがある。そんなときに、たとえばHSPのようになにか名前のついた性質を言い訳にして、「わたしは繊細な性質だからしかたがない、力をセーブしても甘えではない」などと考えると、少し罪悪感が薄れるかもしれない。

強い香水をつけ、ゴム手袋をはいて卵を剥き、できるだけ静かなところで大切な人にだけ会う。それは、いつか壊れるこの身体と心を、少しでも長くすこやかに保つための工夫なのである。


文:永山源(@goddsk)

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

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