学校の当たり前に「適応」できない先生だった話

先生を少しだけやっていた

初めまして。千鳥あゆむと申します。

いきなり自己紹介になってしまうのですが、私は大学と大学院で合わせて6年間教育に関する勉強をしていた人間です。

学部生の時は「自分は先生になるべき人間だ」と思い込んでおりました。当時、教員免許をとるコースを履修しており、「絶対先生になってやる」という決意のもと、5種類もの教員免許に加え、学校図書館司書教諭(学校の図書館にいる先生)の資格まで取得しました。免許コレクターみたいですよね。

そんな感じで、学生時代は結構な労力を教員になることに注ぎました。

また、実際に先生っぽいことをする機会もありました。学部時代には中学校に教育実習へ行き、院生時代には小学校の非常勤講師として勤務していたことがあります。

でも、結果的に教員になることをやめちゃいました。

「学校での先生としてのふるまいがわからなかった」ことが大きな理由です。

さて、ここからは、もう少し詳しくそんな私の「ダメです」な先生の経験を話させてください。

※個人情報保護のため、話の筋が変わらない程度にフェイクを入れている部分もあります。ご了承ください。

 

学校の当たり前ってハードル高くない?

自由奔放な大学生活を経て、教育実習で「学校」に戻ったときに感じたのが、これです。

学校の当たり前ってハードルが高い。

思い返せば、あの時の生活習慣や規範意識、大人になってからやるとなるとなかなかしんどくないですか? 児童・生徒の皆さん立派だなあ。 ほんと、心の底からそう思うんですよね。

では、いくつか例をあげていきます。

 

行事は全力を尽くすべき

学校生活の中には年に何回か、学校行事がありますよね。

学校全体が行事のたびに「みんなで全力で頑張るぞー!」って燃え盛る空気、本当に熱い。大人になってからあんなに全力や連帯感を露わにできるでしょうか。

そして、合唱コンクール、体育祭、演劇、文化祭、どれをとっても活躍できるのは特定の分野への才能を持った子どもばかりなはずです。

それなのに、みんなに「全力を出そう」と持ち掛ける空気、そして、それを受け止める子どもたち。

あの一体感が日本全国あちこちで生じていると考えると、学校の規範って凄まじいですよね。

 

サボりかどうかに敏感

小学生でも中学生でもそうなのですが、みんな「サボり」かどうかの判定に敏感すぎません?

例えば、見かけで分からない症状で体育を見学すると「サボりか?」って疑われたり。それがエスカレートして、生理痛の女子が無理やりマラソンをさせられたりなんて問題もおきたりしちゃいます。

みんな「サボり」に敏感です。

でも、大人だって時々サボりますよね。朝起きてちょっとしんどいからって、会社行かなかったり、大学の講義をなかったことにしたり。割と日常茶飯事だと思うのです。余程重要な日でなければ、いちいち理由を尋ねたりされないことも結構ありますよね。

それに比べて、学校はわりと寛容じゃない気がします。

休む理由やしんどさなんて人それぞれだし、大体の場合成績は自己責任なのに、みんな他人が休む理由が正当であるかどうかを気にしている。そして「あれはサボりだ」なんて認定をし始めるのです。

「他人のことなんだから、別に良くない?」と思ってしまうのですが、学校だとそうはいかないんですよね。きっと。

 

朝早い

小・中学生や高校生の朝って異常に早いですよね。

8時半には学校の自席に着いていなくてはならないから、逆算すると7時台には起きていないと間に合わないかもしれない。家の距離によってはもっと早く起きる必要がありますよね。

漫画とかだと「遅刻、遅刻~」って子どもが走る描写、だらしない子どもの象徴みたいに使われがちです。でも、大人になった今の自分で考えると、あの時間に走れないかもしれない。体力的な面で走れなさそうというのもあるのですが、それ以前に「学校に遅刻するくらいで走る必要があるか?」とか考えちゃいそう。自分の場合、子どもの時のような「遅刻しそうだから、走って間に合わせる」という誠実さや泥臭さが年々失われていく気がするのです。

そもそも、異常に朝が早いですよね。大学生の1時間目なんて9時くらいから始まるのに、子どもは朝のホームルームだとか朝学習の時間だとかで朝8時30分には忙しい。

だいたい11時くらいに1時間目にしてくれれば、いいんですけどねえ。どうして、子どもの時は当たり前に遅刻しないで学校に行けていたんだろう。

 

 

学校の当たり前って今できる?

うーん、何個か挙げてみたけれども、子どもたち偉すぎます。例え、内申点のために猫をかぶっていたとしても偉い。

今の自分だと何一つまともに達成できないと思います。協調性はないし、どうでもいい用事ならサボることもあるし、朝は起きれない。

子どものころは当たり前だったあれこれ、大人になるとできなくなりませんか?(もちろんそうじゃない方もいるでしょうが)

私はそこらへんが「ダメ」でした。

教育実習生であった時も、非常勤講師であった時も「学校生活ってハードル高いなー」と常々感じていました。

 

学校に「適応」できない先生だった

そんなわけで、私は完全に学校の当たり前に適応できない先生(あるいは教育実習生)でした。

学校に適応できない自分が「先生」と呼ばれるようになると、困ることがありました。

それは、子どもたちを叱ることができないことです。

 

合唱コンクールの指導ができなかった

例えば、実習生時代に合唱コンクールの練習に消極的なクラスの担当になったことがありました。

朝の練習も40人近く在籍しているクラスなのに10人くらいしか集まらない。歌の練習の時間もみんながお喋りをしていて、担任の先生が怒鳴り散らしている。そんなクラスでした。

私としては、「まあ、みんな正直でいいじゃん」と楽観的だったのですが、「学校」である限りそうはいかないようです。

特に何もせず合唱の練習の時間をやり過ごしていたのですが、さすがに、「実習生だからって見てるだけでいいと思ってるの?やる気をあげるような指導をしなよ」なんて担任の先生に怒られちゃうわけです。まあ、そうですよね。

そんなわけで、「言ってやるぞ」と教壇に立つわけなのですが、自分でも驚くほど言葉が出てこない。

「みんなで歌えるのは今だけなんだよ」(だから何なんだ)

「みんなで歌うと気持ちいいでしょ」(人によるだろう)

どんな学校っぽい言葉を口に出しても、脳内の自分がセルフツッコミを入れてくるのです。

クラスの子も、実習生が言うことだから優しく聞いてくれている雰囲気。私の口から出る言葉は、きっと、誰の心も動かさなかったことでしょう。

自分自身が学校行事に熱心に取り組んだことがないから、なんていえばいいのかまったくわからなかったのです。

正直なところ、嫌な思いしてまで朝早くに集まって歌を歌う理由がわからない。学年で優勝したからって偉いとは思わない。歌がうまいから偉いとも思わない。

故に、全く指導に熱が入らないのです。学校の文脈や学校の正義で思考ができていないので、学校っぽさに共感することができない。

 

学校の感覚で叱ることができない

このようなことは合唱コンクールの指導以外にもありました。

各家庭がお金を払っている給食を無理にでも食べるように指導する理由がわかりませんでした。だって、苦手なものを無理に食べてもおいしくないし、具合が悪くなってしまいます。

授業をサボりたくなる子を責める理由がわかりませんでした。だって、大学生や大人だって講義や会社を適当な理由で休むことがあるし。

私が採点して返却したプリントで上手な折り紙を作った子を、別の先生が「授業の冒涜だ」と叱る理由がわかりませんでした。だって、とてもよくできていたし、誰にも迷惑がかからないから。

大学生の自由さを知ってしまった自分は、学校の規範にはもう戻れないのだなと感じました。

アナーキーな大学生活に浸りすぎて、学校的なルールで適切に叱ることがまるでできなくなりました。「子どもだからダメ」「学校だからダメ」という感覚が持てないのです。

 

学校がしんどく感じられる人へ

まず、教員志望者の方へ。

周りには熱心な先生が多くて、自分だけ浮いてしまうような感覚を持つ方もいると思います。私もその一人でした。

学校の感覚って、世間よりだいぶ厳しいですよね。息が詰まりそう。

案外本音をうまく隠して先生をやっているなんて方が周りにいるのかもしれません。

学校っぽさをしんどく感じる先生、私はステキだなと思います。自分が子供のころに出会いたかった。

「ダメです」と思うことがあるかもしれませんが、そんなあなたは誰かの希望ともなるのではないでしょうか。私の同僚にいたら、きっと私は救われていました。

職員室の先生みんながきっちりしすぎているのもしんどいので、たまには変わった存在の先生がもいても良いのではないでしょうか。

 

次に、学校に通っている方へ。

学校を一度抜けた大人の目線からすると、朝早起きして通ったり、勉強や明日の時間割のことを考えているだけで相当偉いと思います。

あと、案外、先生も全員がきっちりしているとは限らないですよ。

もしかしたら、身近に話が合う先生がいたりするかもしれません。

しんどいときは探してみるのもいいかもしれませんね。

 

最後に。

私個人としては、学校での「当たり前」って結構すごいことばかりなので、「ダメです」と自分を責める必要はないと考えています。

大人になると、早起きして学校に行って、集団の中で勉強したりみんなでご飯を食べていた日々が立派すぎるように思えてなりません。

あの頃、ちょっとした失敗をするたびに「ダメだな」って思っていた子どもの頃の自分に「超立派だよ!!」と声をかけてあげたいものです。

 

文:千鳥あゆむ(@chidoriayumu)

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

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