意識さえあればなんとかなるのでは?
受験がつらい。就活がつらい。労働がつらい。ありとあらゆるものごとがつらい。
よくわかんないけど生活が全体的につらく、頭が真っ白になっている時に、何かを成し遂げたような顔をしたよくわかんない肩書きを持ったひとが、よくわかんないことについて、よくわかんないことばで話しているインタビュー記事などがSNSのタイムラインに出てこようものなら、狂を発しそうになる。
「意識高い系」の文章が目に入るたびに、陽のエネルギーに肌を焼かれるような思いがする。それはきっと醜悪な化け物が光属性の魔法を浴びて砂と化していく時の心持ちに似ているはずだ。
けれど、そういったご高説を聖剣エクスカリバーのごとくブン回している「意識高い系」の人々は、受験も就活も労働も全然つらくなさそうだ。むしろ困難に全力で自分を投じていくしたたかさを持っている。
もしかすると、ぼくたちに足りないのは意識ではないか。
ともすれば「意識高い系(笑)」と揶揄される人々はエネルギーに満ちていて、布団に背中を縫い付けられたかのように惰眠をむさぼるぼくたちに劣等感を植え付ける。あらゆる問題を主体的に解決しようとしている彼らの影で、ぼくたちはSNS上に蔓延る、毒にしかならず薬にはならない言説に犯され続けている。
彼ら/彼女らと、ぼくは、何が違うのだろう? それはきっと意識だ。意識の高低差だ。
意識さえあれば色んなことがうまくいくのではないか? どうすれば意識を手に入れることができるのだろう?ぼくが用意した答えはこうだ。 :
意識屋さんに意識を売ってもらおう。
「受験は団体戦」のリアル
「受験は団体戦」ということばを馬鹿にする風潮がある。いわゆる「自称進学校」が理不尽な課題や補習を正当化する為に使いがちなフレーズだからなのかもしれないけれど、ぼくはこのことばに救われた部分がある。
ぼくは勉学にしろ生活にしろ労働にしろ、ありとあらゆる能力が低いので、自分ができないことは基本的には外注する。けれど、人生においては、否が応でも自分の能力を底上げして無理難題に挑まなければいけない「ほぼ負け確のイベント」が必ず起こる仕様になっている。
ぼくにとっては大学受験がそうだった。勉強し、偏差値を上げ、合格最低点を取る。その目的をなんとか達成するために勉強に打ち込むモチベーションがとにかく必要だった。
ここで「受験は団体戦」ということばに立ち戻る。このことばをあげつらう人々は、きっと色んなこと(遅刻をしないこと、授業中に眠らずノートを取ること、恒常的な自主学習など)を自分ひとりでこなせる優秀な人々だ。受験を個人の蛮勇で戦い抜ける戦士たちに、ぼくは付いて行くことができない。ならばどうするか?
自分の能力を底上げしたい時/せざるを得ない時、周囲の環境が非常に重要になってくる。
高校3年になった瞬間、今まで一緒にバカをやっていた友人たちのほとんどが早慶上智を志望しはじめた時、ぼくも周りに合わせてそのレベルの大学を志望した。周りがびっくりするくらい勉強に打ち込みだした時、ぼくも周りの真似をしてちょろちょろ勉強しはじめた。
重要なのはこれだ。原付に乗る友人たちの肩をむんずと掴み全力で付いていく、最悪、引きずり回されるイメージだ。
ぼくは他人に引っ張られて自分も行動を起こさなければならないような気になる環境や、そういう環境を作り出す特定の人物のことを「意識屋さん」と、周りの空気に当てられて自分も行動を起こしてしまうことを「意識をキメる」と呼んでいる。
自分の意識が朦朧としているなら、他人の意識を受け容れよう
ぼくたちは基本的に意識が朦朧としている。常に気力がなく、薄く眠く、執拗に日陰に入ろうとする。そんな時、意識屋さんに行くと「なんかみんな頑張ってるし、ぼくもちょっとはやるか」の感情を得ることができる。この感情がめっっっちゃめちゃ大事だ。
結局、自分ひとりで「今日から生まれ変わって◯◯を頑張ろう」と思い立ったところで、きっと3日も続かない。このサイトに訪れるような方々には、痛いほどわかるはずだと信じたい。
大事なのは、他人に引っ張られることだ。自分の意識は品質が悪く、長持ちしない。あらゆるモチベーションを高めるためには他人に/品質の良い意識を/高い頻度で与え続けられることが非常に重要なのだ。
つまり、意識を「買う」ためのコミュニティが必要になってくる。そういった場はいたるところに存在する。ただし、ぼくが高校3年時に運良く所属できたような高水準の意識グループ−−ひとりひとりが本物の努力をし、その努力を誇張なく共有し、更にその努力が偏差値という数字で実際に表れる場−−はそうそう存在しない。良質の意識を扱う売人とはしっかり付き合うべきだ。
意識をキメねばやっていけない。でも周りに尊敬できるような意識屋さんは居ない。そんな時は低品質の意識でもキメられるように自分の意識に手を加えよう。人間は否が応でもコミュニティに所属せねばならず、そしてコミュニティには1人か2人くらいは自分の能力を必要以上に誇示したがる人物が存在する。
そういった人物の誇張を「嘘つくなよコイツ」のフィルタを通さずに一度受け容れてみる。混ぜ物の意識から高純度の意識だけを取り出して、「なんかあの人も頑張ってたし、自分もちょっとはやってみるか」の感情をなんとかして錬成する。この行為は訓練を積めば割と簡単にできるようになる。「他人に優しく」「人を信じる」「自分を高める」と繰り返し念じよう。
ただし、非合法の意識屋さんには注意してほしい。何かを買わせようとしたり、他人の人格を否定してくるような意識屋さんには行かない方が良い(たとえば、「熱血就活塾!」みたいなところはアンダーグラウンドのにおいがする)。「コイツ何言ってるかわかんないけど頑張ってはいるんだな」くらいの意識屋さんがちょうどいい塩梅だと思う。
あるいは、あなたが誰かにとって意識屋さんになれると、とても好ましいことだと思います。もちろん、あなたの無理のない範囲で。
文:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)
編集:花輪えみ(@hanawaemi17)