それ、「死にたい」じゃなくて「死にそう」じゃないですか?

今日も「死にたい」

「死にたい」とツイートしたことがありますか?自罰的なタイプの私は仕事や人間関係で追い詰められると、リアルの友人をフォローしていない鍵付きのアカウントで、辛い気持ちをぶちまけてしまいます。

 

死にたいと検索したりツイートしたりすると自殺防止のための相談窓口を案内されますし、少し前では死にたいというツイートをモチーフにした、某アーティストのミュージックビデオが話題になりました。自殺が社会問題となっているように、それくらいSNSでの「死にたい」が日常になってきているんですよね。

 

けれど「死にたい」「つらい」「消えたい」が乱舞するタイムラインを眺めて思うんです。

「死にたい」ではなく「死にそう」だと表すほうが正しいのでは?と。

 

 

「死にたい」って、色々しんどいですよね。

「死にたい」とは、なかなかリアルでは口に出せません。そんなことを親や友人に言えば、泣かれるか引かれるか病院を勧められるか……。最悪の場合「生きたくても生きられない人もいるんだぞ」と説教でもされてしまったら。ただでさえ辛い気持ちのとき、さらに気が滅入ってしまいます。

 

私にも経験がありますが、どうしようもなく辛くて「死にたい」と検索したとき、「じゃあ死ね」とか「甘え」といった書き込みを目にすると、もうどうしたらいいか分らないような気持ちになりますよね。

 

意外と「死んではいけません。生きていればいいことがあります」といった優しさによる死にたい気持ちの否定も「お前に何が分かる」とか、思っちゃうんですよね。辛く憂鬱な気持ちのときに、頭をもたげる「死にたい」という4文字。けれど、本当に「死にたい」のでしょうか?

 

 

「死にたい?」「死にそう?」

出来ることなら誰だって、恐れることなく幸せになりたいはずです。死にたいと毎日思わずに生きられる人生のほうが、ずっとよりよいはずです。あなたは「死にたい」のではなく「まわりの環境に殺されかけている」のでは、ありませんか?

 

仕事や人間関係に追い詰められて死に逃げ場を求めてしまうとき、それはもはや「死にたい」ではなく「死にそう」ですし、他人の目から見ても「死にたい」と言っている人は「死にそう」な人なのです。

 

もちろん「死にたい」という気持ちに、程度の差はあるでしょう。けれど、口癖のように言った「死にたい」も、カッターやロープを手にして言った「死にたい」も、自殺へ一歩近づいていることに変わりありません。

 

 

「死にそう」って、呟いてみませんか?

「死にたい気持ちを、誰かに理解してもらいたいわけではない」――けれど「死にそう」と表現することで、あなたの心を少しでも守ることができるかもしれません。

 

「死にたい」とは主観的な言葉です。本当は「死にそう」なはずなのに、まるで自らを死を望んでいるような表現です。だから「死にたい」と言い続けていると、だんだん暗示のようになってくるんですよね。幸せな気持ちのときでも「私は死にたい人間なのに……」とか。

 

それに「死にそう」と言っているのに「甘えるな」とか「死んではいけません」と返す人なんて、そうそういませんよね。普通は「大丈夫?」と声をかけるはずです。実際「死にそう」とツイートしてみると「死にたい」とツイートするより「死」をリアルに感じました。マンションの屋上から下を見下ろしたとき、背筋がぞっとして、本能的に怖いと感じたときのような。

 

何度か首吊りをやろうとしたことあるのですが、踏み台に乗った瞬間「あっ思ったより高くて怖い」と一瞬で決意が崩壊しました。そんな感じで、ちょっと冷静になれます。あと本当に「死にたい」とツイートしことがある人なら分かると思うのですが、めちゃくちゃ死にたいときに「死にたい」を連続でツイートし続けると「すでに投稿されています」と表示されてイラッとするんですよね。

 

死にたいと死にそうを組み合わせれば、ちょっとは解消されるかもしれません。まあ本当に死にたいときって、死にたいだか死にそうだか、表現を考えている暇なんてなかったりするんですが……。

あくまで「死にそう」と表現するのは、一時しのぎに過ぎません。

本当にしんどいときは、病院を受診しましょう。

文:野々原 蝶子(@tyou_ko)

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

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