風呂から出られない

風呂から出られない

お風呂に入れないという悩みや嘆きは、友人との何気ない会話のなかでも、Twitterのタイムライン上でも、よく見聞きする。わたし自身お風呂に入るのが得意ではないから、深い共感をもってうなずいたり、そっとふぁぼ(未だに「いいね」とは言いがたい)したりしているのだけれど、どちらかといえば、わたしはお風呂に入るより、お風呂から出ることの方が苦手だ。

 

まず、浴室へたどりつくまでに苦労する。横になっていたら起き上がるのが大儀だし、本を読んでいたらキリの良いところまで読み進めたいし、Twitterを眺めていたら切り上げるのが難しい。やっとの思いで立ち上がり、服を脱いで湯船につかると、今度はそこから動けなくなる。

 

冬場など、56時間くらい平気で出ない場合もある。お風呂に入るときにはだいたい日付が変わっているから、出てくるころには明るくなっていることもざらだった。もちろんそのあいだずっと湯につかっているわけではなく、浴槽のへりに腰かけてからだを冷ましたり、台所に飲みものを取りに行ったり、のぼせないよう小休憩をはさんでいる。途中で出るくらいならそのまま風呂を上がればよさそうなものだけれど、ちょっと考えてもみてほしい。無意味な行動がひとつもゆるされない上質で合理的な生活の息苦しさを。特に意味もなければ効率も悪い、非合理的なふるまいを自らの意志であえてすることは、とてつもなく自由だ。そんな自由を愛していたっていいじゃないか。

 

――と、いうのは半分くらい出まかせで、単にわたしは風呂から出ることが苦手なのだ。さきほども言ったとおり、そもそもお風呂に入ることからして上手くないから、なんとかじぶんの機嫌をとるために、浴室へさまざまなものを持ち込む。読みさしの本、スマートフォン、飲みもの(たいがい缶チューハイとお茶のペットボトルを1本ずつぐらい)、そしてお菓子。これだけそろってしまうと、お風呂から出る理由がなくなってしまう。

 

本を読み、Twitterをして、お菓子がなくなったころ、さすがにそろそろ湯船を出てからだを流そうかと考えはじめる。けれども前途は多難だ。たとえば、まるでそのタイミングを見計らったかのように、電話がかかってきたりする。

 

おもえばわたしはお風呂でいろいろな電話をとってきた。魂があらぶって取り乱した友人からの電話。懸想しているおんなともだちから「あなたがわたしを好きでいるのは自由だけどわたしは男が好きだよ」と言われた電話。こじれたおとこともだちから「あなたは人間の風上にもおけない」とおそろしい宣告をされた電話。これといった理由やきっかけもなく、突然話すのが億劫になって距離を置いていた交際相手から、怒涛のようにかかってきた無言電話(あれはこわかった。じぶんが悪かったんだけれど)。

 

要するに、わたしはダメなのだ。

 

ひとくちに「ダメ」と言っても、いろいろな種類がある。ひと付き合いに難があるとか、約束した時間を守れないとか、意味のないうそをついてしまうとか、場当たり的に愛想をふりまいてしまうとか、気分の浮き沈みが激しすぎるとか、お金をたくさん使ってしまうとか。いま挙げたダメさのすべてにわたし自身当てはまっているのだけれど、それらの根幹にあって、わたしという人格を決定づけているダメさは、「自分にとってよりよい選択をなぜか選べないこと」だとおもう。

 

ほんとうは電話に出ない方がいいと分かっている。ほんとうはからだを流した方がいいと分かっている。ほんとうは早く寝た方がいいと分かっている。にもかかわらず、わたしは電話に出て、ひとしきり話す。電話が終われば話した内容を反芻し、「あの切り返しはスマートじゃなかった」と後悔する。バスタオルを巻いて台所にいき、クリアアサヒを1本取って風呂場に戻ってくる。からだを流すのは後回しにして、再び湯船に沈む。

 

さきほどちらりとふれたけれど、「半分くらい出まかせ」と言ったとおり、わたしは意識して「無意味な行動」を取り、「上質で合理的な生活」に反抗しようとしているわけではない。そんな立派な信条は持ち合わせていないのだ。ただシンプルに、よりよい選択ができない。明日早いと分かっていても夜更かししてしまう。膵炎の症状が悪化しているときに家系ラーメンの店に入ってしまう(そして替え玉を頼む)。今無視したらこじれると分かっていても相手からの連絡をスルーしてしまう。

 

なかでも特にできないのが、お風呂から出るという選択だ。この文章を書くにあたって、自分なりに理由や原因を考えてみようとしてみたけれど、やっぱりよくわからなかった。やむにやまれぬ事情も、切実な動機もない。にもかかわらずなぜかできない。手足がふやけ、のぼせそうになっても、湯船から上がりはするけれど、浴室にステイし続けようとする。

 

やがて飲むものも食べるものも尽き、スマートフォンの充電が切れかかってくる。そんなとき、わたしは漠然としんどい気持ちで、ぬるいお湯に肩までつかりながら浴室の天井を見上げている。わたしがこのままお風呂から出られないとしても、それでも夜は明けるけれど、きっと明日は仕事がつらい。

文: なめこ(@vknty133)

編集:渡良瀬ニュータウン(@cqhack)

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