持病の後遺症でなかなか寝付けない身体になってしまった。明け方まで眠れないこともしばしばで、眠っても眠りが浅かったりする。
「不眠」で検索すると、怪しげな、医師のようなカウンセラーのような人が不眠の解決方法を解説している動画や記事がヒットするが、信ぴょう性に欠けるものもあるだろうし、なによりもあまり効果がなかった。
本稿は、医学的知見に基づいたり、なんらかの個人的経験による不眠の解消方法をお伝えするものではない。そうではなく、眠れない、苦しいと感じる一個人がここにもいるということをただ記しておくものだ。
中学のとき、家庭科の先生が「嫌いな食べ物があっても、別の食べ物で栄養素を補えばいい。無理しなくていいんだよ」と言っていたのをよく覚えている。それまで「出された料理は全部食べるのが礼儀」という価値観で過ごしていたから、軽い衝撃だった。
それ以降苦手な食べ物は残すようになったけれど、眠りについても同様、「ひとまず眠れなくてもいいか」と思い込むようにしている。というのも筆者はいま幸いにして職についておらず(広い意味での)転職活動中で、午前中に起きなくてもよいという状態にある。この点、働かれているみなさんにはどこか申し訳ない気持ちがある。が、無職の人もおられよう。とにかくスタンスだけでも共有できればと思う。
また、眠れなくても大丈夫ということを言いたいのではない。眠れないまま日中活動することを続ければ確実に身体を壊す。筆者がそうだった。不眠が原因で精神と身体をダメにしてしまったのだから、そのままでいいというのではもちろんない。
ただ責めないでほしい、自暴自棄にならないでほしい、眠れぬ夜に目が冴えてしまうのはあなた一人ではないということを明記したい。

夜は長い。ベッドに入って壁や天井を見つめ続ける時間の長さは途方もない。それは耐えがたいことだ。だから、筆者は依存先、というか発散先を複数持つようにしているのだが、焦燥感に駆られているので尺が長いものは楽しめない。小説や映画は長いので厳しい。
ということでまず12chの首都高の映像を見ることにしている。あれは落ち着く。車が流れている単調な映像が続くだけだが、気持ちは晴れていく。ドライブに行けなくても、(運転する感覚こそないものの)景色は楽しめる。無限に流れてくるので、キリがいいところで牛乳を飲む。チーズを食べる。そして椅子に座って俳句を読む。
「ラグビーの影や荒野の聲を負い」(寺山修司)
「新鮮なビルディング生え冬の虹」(中山亮玄)
「海に出て木枯帰るところなし」(山口誓子)
など、短くてもハッと圧倒される句に巡り会うと嬉しくなる。
ここでいったん眠れないか試してみる。横になって、しかし虚空を見つめながら眠りを待つのは不安なのでラジオクラウドで空気階段のラジオ「踊り場」を聴く。鈴木もぐらの臭い足を相方の水川かたまりがスタジオで洗ってあげるエピソードや、同じく水川かたまりが号泣しながら彼女にラジオの電波を通してプロポーズするエピソードにフッとすこし笑いながら……まだ眠れない。
本当はいけないのだが、ちょっと起きて小さい音でベースを弾く。アンプには繋げない。「風をあつめて」(はっぴいえんど)の1番だけ弾いてみる。そしてこれまた眠りにはよくないらしいのだが、煙草を吸う。吸いたいから吸うのだ。ああうまい、と息を吐いているともう空が明るくなっている。朝日が綺麗に差し込んでいるので、カメラを持って近くの公園まで行って被写体を探す。あれこれ撮る。というように書いてみたがなんだかあまり眠る気のない者のよう。本当はぼーっとしている時間があいだにすこしあったりもする。
最後は泳ぎ疲れた魚のようにベットに横たわり、ほのかに明るいカーテンの外を見て、とくに何も思わず気づいたら寝ている。ここが夜のしまいどころだ。

文:うどん二郎(@JFK15min)